コラム

  • 2025.04.01 コラム| 文化財防災センター 文化財防災センターにおける国際協力の取り組み --トルコ共和国文化観光省との交流事業について--
  •  文化財防災センターでは、事業の一環として、文化財防災や被災文化財の救援に関する国際協力を行っています。災害大国である日本は、被災文化財への対応や文化財防災の分野で豊富な経験と知見を有しています。これらを諸外国と共有し支援に活かすとともに、諸外国の取り組みから学び、日本の文化財防災のさらなる発展を図ることを目的としています。
     2023年2月6日、トルコ・シリア国境付近でマグニチュード7.8と7.5の大地震が連続して発生し、両国で6万人近くが亡くなるなど甚大な被害が発生しました(トルコ・シリア地震)。また、発災後の報道などを通じて、歴史的建造物やモスクといった文化遺産、さらには博物館も大きな被害を受けたことが伝えられました。
     当センターでは、東京文化財研究所と連携し、国内の文化財関係機関やトルコ共和国文化観光省などから情報を収集した上で、2023年11月28日から12月7日にかけてトルコを訪問しました。現地では、被災地の視察、両国の文化財防災に関する情報交換(専門家会議の開催)、今後の連携に向けた意見交換を行いました。
     被災地視察では、ハタイ、ガズィアンテプ、シャンルウルファの博物館や文化遺産を巡り、被災後の対応や現状、課題について各博物館の職員らから聞き取りを行うとともに、今後の支援ニーズを調査しました。訪問時、被災した博物館では応急対応を進める一方で、建物や文化財の本格的な修復に向けた準備が進められていました。なお、シャンルウルファでは地震発生翌月の3月14、15日の大雨による洪水が発生し、同地の博物館では地震の被害は比較的軽微だったものの、浸水による深刻な被害が発生しました。
     専門家会議は、アンカラのトルコ共和国文化観光省において、同省との共催で実施しました。日本側からは、日本国内の文化財防災の概要を紹介した上で、東日本大震災をはじめとする被災文化財救援の事例や、博物館における災害予防の取り組みを報告しました。トルコ側からは、今回の地震による文化財被害や対応の概要、博物館における防災対策などについて報告がありました。
     意見交換を進める中で、トルコの復興に向け、日本の文化財防災や被災経験の伝承に関する取り組みを紹介することが大きなニーズの一つであることが明らかとなりました。これを踏まえ、2024年度にはトルコの文化遺産関係者を日本へ招聘し、日本の文化財防災の幅広い取り組みを紹介することとなりました。
     2025年1月24日から2月2日にかけて、トルコ文化観光省の文化遺産・博物館関係者ら10名を招聘し、各地を視察しながら以下の取り組みを紹介しました。
    ・法隆寺における文化財防火デーの活動および、1949年の火災で焼損した金堂壁画の保存に関する取り組み
    ・阪神・淡路大震災(1995年)における被災文化財の対応(特に近代を含む文化財建造物の修復事例)および被災経験の伝承
    ・東日本大震災(2011年)の原子力災害下における文化財保護と被災経験の伝承
    ・令和6年能登半島地震(2024年)および2024年9月の豪雨による被災文化財への対応(国・県・市町における取り組み)
    ・東京国立博物館・国立西洋美術館における災害対策
    ・日本における一般防災教育の取り組み
     これらを通じて、日本では大規模災害が発生するたびに防災対策が強化されてきたことに加え、被災経験を後世に伝承するための有形・無形の取り組みが実践されていることも紹介しました。来日した方々からは、被災経験の伝承に力を入れていることに対する関心と敬意が示され、トルコでも同様の取り組みを模索したいとの意見が寄せられました。
     2025年度以降もトルコの復興に資する支援や意見交換を継続するとともに、トルコで実践されている文化財防災・被災文化財救援の取り組みからも多くを学びたいと考えています。こうした知見は、文化財防災センターの活動を通じて、日本国内の文化財関係機関とも共有していく予定です。

    *本交流事業は、文化庁の以下の事業を受託し、実施しています。
    2023年度:令和5年度緊急的文化遺産保護国際貢献事業(専門家交流)
    「トルコにおける文化遺産防災体制構築を見据えた被災文化遺産復興支援事業」
    2024年度:令和6年度文化遺産保護国際貢献事業
    「トルコにおける文化遺産防災体制向上のための拠点交流事業」

    (研究員 千葉 毅)

    トルコ・シリア地震で被災したハタイ考古学博物館の視察(2023年度).jpg

    トルコ・シリア地震で被災したハタイ考古学博物館の視察(2023年度)

    法隆寺の焼損壁画収蔵庫の視察(2024年度).jpg

    法隆寺の焼損壁画収蔵庫の視察(2024年度)

    今後に向けた意見交換(2024年度).jpg

    今後に向けた意見交換(2024年度)

  • 2025.02.26 コラム| 文化財防災センター 博物館・美術館のリスクマネジメント
  •  博物館や美術館を取り巻くリスクには、どのようなものがあるでしょうか。近年、大きな脅威となった事案の一つに、2020年から始まった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)のパンデミックがあります。自治体からの要請、あるいは感染拡大防止の観点から臨時休館や事業の縮小を余儀なくされたことは、未だ記憶に新しいかと思います。一方、それを契機として、感染症対策の強化が進み、バーチャルミュージアムやXR技術を用いた展示が盛んに導入されるなどの変容が見られました。そのほか、特に欧米において、環境活動家による美術作品への破壊行為(ヴァンダリズム)が頻繁に発生しており、新たな脅威となっています。それでも依然として、わが国では地震、風水害、火災といった災害が、主要なリスクとして挙げられるでしょう。

     一般的に、リスクとは"発生確率"と"影響度"から見積もられます。すなわち、発生確率が高いほど、影響度が大きいほど、リスクは大きくなります。それに対して、特定、分析、評価、対応といった手順でリスクマネジメントが行われますが、このリスクへの対応については、主に①回避、②転嫁、③低減、④受容に分けられます。ここでは、パリ・ルーヴル美術館の事例をご紹介したいと思います。

     パリでは、大雨によりセーヌ川の水位が高くなることが、度々発生しています。一番よく知られているのが1910年の大洪水ですが、近年も2016年や2018年に水位が高くなり、セーヌ川に面したルーヴル美術館では臨時休館やコレクションの緊急避難がおこなわれました。すなわち、セーヌ川の水位上昇に伴う洪水あるいは地下水位の上昇は発生確率が高く、その被害も甚大であるため、優先的に対応しなければならない大きなリスクでした。そこで、2019年10月にフランス北部のリエヴァンにルーヴルコンサベーションセンターを開設し、パリで水害のリスクに晒されているコレクション25万点を輸送・収蔵するプロジェクトを進めました。これはリスクの回避、転嫁といえます。また、パリ・ルーヴル美術館では洪水に対する防御計画(PPCI: Plan de Protection Contre les Inondations)を作成した上、訓練、リスクのモニタリング、緊急時対応などがおこなわれており、現在も美術館としての活動を継続しています。こちらはリスクの軽減、受容といえるでしょう。

     日頃より、リスクの特定、分析、評価といったプロセスを意識しながら活動し、優先的に対応すべきリスクを関係者全体で認識することからはじめてみましょう。

    (研究員 黄川田 翔)

  • 2024.07.11 コラム| 文化財防災センター 文化財防災センターの成り立ちと仕事
  •  文化財防災センター(以下、当センターと称する)は、国立文化財機構内に設立された組織です。まだ若い組織ですが、1月の石川県能登半島地震をはじめ、地震や豪雨、火災、土砂災害など、設立当初からこれまでに発生した災害から文化財を救出、救出した文化財の修理修復や保管、復旧などを関係組織の協力のもと行いました。今年10月で設立4年になります。ここでは、当センターの成り立ちと日常的に行っている仕事について、お話しします。

     今から13年前の2011(平成23)年に発生した東日本大震災では、地震や大津波により甚大な被害がありました。この時に国立文化財機構は文化庁からの要請を受けて、東北地方太平洋沖地震被災文化財等救援委員会を組織して、被災文化財の救援(文化財レスキュー)を実施しました。この事業は、2011年から2年間にわたり実施されました。その後、救援委員会は解散いたしましたが、2014(平成26)年度から6年間にわたり文化庁の補助金を受けて国立文化財機構内に文化財防災ネットワーク推進室を設け、「文化財防災ネットワーク推進事業」を取り組んでまいりました。この事業では、わが国の文化財防災の体制構築を図るとともに、文化財防災のマニュアル作成や救出の初期対応に係わる研修会等の実施を行ってきました。そして、この時の成果を基に、2020(令和2)年10月1日に国立文化財機構の本部施設として当センターは設立されました。

     当センターは、①地域防災体制の構築、②災害時ガイドライン等の整備、③レスキューと収蔵・展示における技術開発、④普及啓発、⑤文化財防災に関する情報の収集と活用、の5つの事業を柱として取り組んでいます。以下に、昨年度(令和5年度)の活動について、5つの事業からその一部を紹介します。
    ①地域防災体制の構築では、ヒアリング調査を実施して、当センターと都道府県の文化財保護行政担当者との連携体制を図るとともに、災害発生時におけるレスキュー活動の連携体制や都道府県間の広域連携による相互支援体制の支援等の実態把握を進めています。また都道府県で行われている文化財防災に関する協議会や研修会等に参加して、事業報告や情報交換等を行いました。②災害時ガイドライン等の整備では、救援活動時の作業環境や一時保管場所構築に係るガイドラインを順次策定しており、これまで文化財の放射線対策ガイドブック、室内労働環境の浮遊カビの測定 ・ 評価と浮遊カビ等からの防護に関する管理基準、浮遊カビ等からの人体の防護に関するマニュアルなどを、関係組織と協力して作成しました(https://ch-drm.nich.go.jp/facility/2022/03/post-49.html)。そのうち、室内労働環境の浮遊カビの測定 ・ 評価と浮遊カビ等からの防護に関する管理基準、浮遊カビ等からの人体の防護に関するマニュアルについては今後、諸外国で活用できるよう英語版を公開する予定です。③レスキューと収蔵・展示における技術開発では、一時保管場所のおける文化財の劣化要因の許容範囲の明確化、消火設備の現状と課題、立体作品の転倒防止に関する研究など、被災の原因究明や対策などに関する研究を進めています。④普及啓発では、視聴覚資料の応急処置ワークショップや一時保管環境の生物被害対策ワークショップ、文化財防火デートークイベント、研修集会などを開催しています。特に昨年度は研修事業の充実を図るため、被災文化財対応基礎研修のオンライン研修を開催しました。⑤文化財防災に関する情報の収集と活用では、各団体の講演会や大会に参加して情報収集を行いました。特に昨年は関東大震災から100年を迎え、各団体において多くの講演会や展覧会が開催されたことから、それらに参加して日本における防災と災害復興に関する取り組みの情報収集を行いました。これら以外にも受託事業の実施や他団体との共催で国際会議を開催などの活動を行いました。

     我々の活動についての詳細は、文化財防災センター年次報告書に掲載しております。HPからも閲覧できますので、この機会にぜひ、ご一読いただければ幸いです(https://ch-drm.nich.go.jp/facility/2024/06/5-3.html)。


    (アソシエイトフェロー 小峰幸夫)

  • 2024.05.28 コラム| 文化財防災センター 【令和6年能登半島地震 現地レポート】能登半島の漆塗り
  •  令和6年1月1日。皆さまご承知の通り今年の元日に能登半島を震源とする令和6年能登半島地震が発生しました。この地震で犠牲になられた方に哀悼の意を表すとともに、被害にあわれた方々にお見舞申し上げます。
     この地震により文化財についても大きな被害が発生しており、当センターでも現地で活動をさせていただいております。今回は、この5ヶ月間現地に赴き感じたことをお話しさせていただきます。
     能登地方に行って感じるのは、能登の人たちは能登の文化を大切にしているということです。その多くは、必ずしも文化財として意識されていません。しかし、外部の目から見ると十分地域の文化財として、暮らしの中に根付いていることがわかります。能登半島地震の被災状況を伺うなかでよく出てくるものとしては、輪島塗があります。もちろん輪島塗は今回の地震で最も注目された文化財でもありますが、この地域における塗り物としてみると、高級漆器である輪島塗とはもう少し違った点がみえてきます。
     まず第一に非常に多くの家で、一揃いの漆器の膳椀を所有しているということが上げられます。揃いの膳椀が何セットもあることも珍しくありません。話を伺うと、こうした膳椀は現在も使われているとのことです。こうした漆器を個人宅で使うことはめっきり少なくなりましたが、まだまだ生活の中に漆器が生きているようです。
     漆塗りというところからこの地域をみると更に広がりがあります。この地域ならではの習慣として、家の目立つ柱に漆塗りを施すということもあります。立派な家であることの象徴とのことです。いわば大黒柱が漆塗りを施している感じでしょうか。
     奥能登の各集落では、キリコと呼ばれる燈篭が集落内を練り歩くキリコ祭りが盛んに行われています(石川県観光連盟ウェブサイト「ほっと石川旅ねっと」※外部リンク)。キリコは、一般に4メートルから6メートルほどの大きさの縦長の燈篭で、最大のものは10メートルを超えます。このキリコもまた漆塗りが施されます。そして、ここでも話しを伺うと、集落で持っている大きなキリコ以外にも、初孫の誕生を記念してといったように、個人を記念したキリコもつくられ、祭りの日には家の前などに飾られるそうです。この個人のキリコは、ミニチュアサイズのキリコですが、やはり漆塗りが施されます。
     輪島塗は高級な膳椀そして作品としての漆芸品だけではなく、暮らしに密着した特別なものとしてこの地域に根ざした存在です。被災した文化財の救出活動では、貴重な文化財を救出するだけではなく、こうした地域に根ざした存在である文化財にも着目し、活動を進めていきたいと考えています。

    (文化財防災統括リーダー 小谷 竜介)

  • 2024.04.23 コラム| 文化財防災センター 文化財防災とは?-文化財防災スパイラル-
  • 「防災」と聞くと、「災害を防ぐ」こと、すなわち「災害に遭わないようにする」ということと普通には思います。この考え方は間違ってはいないのですが、想定外の災害が起きることもあり、災害をゼロにすることはなかなか難しいという現実があります。実際には、「できるだけ災害に遭わないようにする」という考えで、様々な対策がおこなわれています。「できるだけ」ということで、このような取り組みは「減災」と言われています。「減災」という意味での「防災」は、言うなれば狭い意味での概念ということになります。

     災害が起きると、まず人命救助、避難所の開設、仮設住宅の建設がおこなわれます。これは、「救援」活動になります。そして、道路、水道、ガス等のいわゆる社会インフラの「復旧」が進められます。この復旧の過程あるいはその後の取り組みとして、同じような被害を生じないような様々な取り組みがなされます。これが先に述べた「減災」です。「減災」はあくまでも想定の範囲内でおこなわれる対策です。「想定外を想定」して、より厳しい災害が起きた時に、どのように迅速に「救援」活動をおこなうかをあらかじめ準備しておくことが重要となります。地域防災計画の見直しなどがそれに相当するでしょう。これは起こりうる想定外の災害に対する「事前の準備」ということになります。

     実は、この一連の「救援」、「復旧」、「減災」、「事前の準備」というプロセス全体が「防災」として定義されているものです。この一連のプロセスを経ると、被災前の状況よりも災害に対してより強い社会を作り出すことができます。災害は至るところで発生していますので、その経験や情報を共有し積み重ねていくことで、災害に対してより強靭な社会をつくりだしていくことができるものと考えられます。一連のプロセスを繰り返して次第に防災力を高める、すなわち、らせん状に防災力を高めていくということで、防災スパイラルという概念が出されています。

     文化財の分野でもこの考え方は同じです。災害により文化財が被害を受けると、被災した文化財の「救援」がおこなわれます。救援された文化財はその後、修理され、元の状態への「復旧」がおこなわれます。もちろん、完全に元の状態に戻すことは困難な場合が多いのですが、それでもできる限り元の状態に近づけることができるように修理等がおこなわれます。修理等を施された文化財は、元の所有者のところに返ることになります。しかし、また、同じような災害が起きることがあります。そのため、同じような被害を出さないための様々な対策がおこなわれます。残念ながら、想定を超える災害が起きます。そのような場合に、どのようにして被災した文化財を救援するかをあらかじめ考えて準備をしておくことが重要となります。これは災害に対する「事前の準備」になります。一般的な防災の概念と同様、文化財防災も同じ概念であり、文化財に対する一連の「救援」、「復旧」、「減災」、「事前の準備」というプロセスを繰り返して、より強靭な文化財防災体制を築き上げていくということで、私たちは「文化財防災スパイラル」と呼ばせていただいています。

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    (文化財防災センター長 髙妻 洋成